Tellurは、……現在色々物色中です。

「アリスへの決別」(山本弘、ハヤカワ文庫、2010)

2010年8月14日  2017年2月25日 
 問題作だね、僕にとってだけど。
 短編集で、内容は下記の通り。

  • アリスへの決別:ⅰ参照
  • リトルガールふたたび:ⅱ参照
  • 七歩跳んだ男:月面ミステリ
  • 地獄はここに:ⅲ参照
  • 地球から来た男:ⅳ参照
  • オルダーセンの世界:マトリックスみたいなの(一番わかり易い言い方)
  • 夢幻潜航艇:マトリックスに筒井康隆混ぜてみたなう


 訳あって現在初歩のジェンダー論やら何やらを読んでいるんだ(もちろんネットでw)。ネットの利点としては、もちろんダメな意見はひたすら参考にならないレベルでしょうもないんだけど「当事者の私的意見」と「不特定多数が参加する議論」が含まれていることがあると思う。一般大衆の生活に基づいた希望ってやつだね。書籍は理論を学ぶには一番費用対効果が高いけど、現実的な解決策を考えるには足りないのだ。
 これぞネットと思わされるネタは、やはり非実在青少年のアレだろう。人によって猫から杓子ほど主張が違うのも珍しい。
 僕個人的には以前は絶対反対であった。
・根拠・効果が曖昧
・規制範囲が曖昧で任意に適用でき、拡大解釈可能
・つーかもっと他に酷い表現のが以下略
 上記3つの欠点はフォローできないな。まあ、規制賛成派が本当にそれを信じているならまだしも、本音が透けて漏れてるから嫌われるだけであって。
・キモいから存在してほしくない
・ポルノ読む連中は犯罪者の雛に違いない
・自分に必要ないから消しておk

 でも最近は規制賛成派の意見も理解できるようになってきた。たぶん彼女欲しいとか結婚したいとかそういう俗な願望を抱いてるからだと思う。小さい子供が見たら何と思うだろうとか、ポルノを堂々と肯定する人を見る女性とか、「人並み」の気持ちが理解できるんだ。子供を持てる年齢になって、子供を健全に育てる必要性も感じている。こう書くと、子供は決して大人が考えるほど純粋ではないだの反論が来るが、そんなのはわかってるよ。でもね、子供はやはり大人ではないんだ。それを大人の秩序や倫理を教えて、社会に適応させる必要があると思う。そのためにはそんな、ポルノを読ませてはならないんだ。コアマガジンとか茜新社とかはやはり子供に与える教材としては不適切だよ。
 だからといってポルノの規制は賛成できない。それこそ必要性がないのだ。だから僕は修正なんて消して良いと思うし、それに従っての流通や販売での規制が正しいと思う。ぶっちゃけ、ポルノを欲しいと思うならば免許制みたいな形が最適かなあと思う。いや、別にポルノだけでなくて、酒とかタバコとか、いわゆる一般的に年齢制限のあるものだけど。
 あとはロリポルノ。誰かがロリコンは病気だとすれば良いみたいなことを言っていた気がするけど、それが一番よいアイデアかもね。ロリコン治療師によって計画立ててロリ萌えポルノを処方されるわけだ。
 これくらいの不便があって初めて「自由」を叫ぶべきかもしれんと思い始めたんだ。想像の世界だから良い? うん、良いかも。でも「アリスへの決別」で唯一引っかかったことがある。彼にとっては紛れもなく真実だったらしい、想像ではなくて。
「アリスは実在の人間と同じぐらい大切な人だということを。彼女を消し去るのは一種の殺人だということを。」
では、それが「現実」に進出するのではないか。彼にとって現実であることこそが規制賛成派が忌むべきことであった。たかがキャラクター。僕の理解では規制反対派は、愛着はあるしこれから新しいネタが入らないのは辛いけど、あくまでもそれはキャラクターである。決して現実ではないし、だからこそどんな待遇をしても誰も現実では傷つかないというスタンスをとっていたはずだ。この「アリスへの決別」では純愛という形ではあるが、規制賛成派の想定している通り(=オタは現実と空想の区別がつかなくて、いつか妄想をリアル世界で実行してしまうのではないか)になってる気がする。
 あれがただ記憶を消すのではなくて、ロリコンを治療するならばハッピーエンドだったんだけど。

参考:こういう記事を読んで、僕は今の考えに至りました。
俺はエロゲによって生かされてきた
児童ポルノは社会のお目こぼしのなかにのみ存在できる
世界中に存在する「あなた」たちへ


 田中芳樹の銀英伝で腐った民主主義と正しき絶対王政、どちらが良いかという趣旨の文があった。これはナンセンスだろう。絶対王政が一人の清廉潔白で公明正大な人間によって正しく行われ、暴走などしない例なんてないのだから。逆にとちらも暴走したときにより被害を防ぐことができるのが民主主義……銀英伝の結論も確か同じだった気がする。
 ただし僕が腐った民主主義論で信じられないのは、そこまで今の人民って暴走できるかな、と。うん、信頼しすぎ? ドイツやアメリカの例を思い出せ? でもあの頃とは事情が違うよ。日本は周辺諸国+世界の裏の国との交流がなければこの生活を維持できないし、しかも輸出で稼いでる企業もたくさんあるのだ。果たして中国やアメリカが本気で嫌がる真似ってできるのかな。しかも原爆まで落として。
 それはともかく、僕が「リトルガールふたたび」で感心したのは構成である。最初は山本弘十八番のネトウヨ&バカ叩きかと思ったよ。でも、なんか違う。叩き方が気持ち悪い。ネトウヨよりも叩いている生徒のほうがヤバいのでは? とも思ったほどだ。そしてラストの軍帥閣下。あー、山本弘は全方位に対して攻撃しているんだなと。彼の良心を感じたし、そしてプロは違うねと思った。小説読んでここまで敗北感があるのは久しぶりな気がする。


 ミステリとして読むと、半分いかないうちに犯人が読めます。登場人物も少ないしね。
 僕たちは自分の経験から子供が純粋無垢じゃないことを知っている。性もあるいは嘘をつくことも、空気を読んで他人に何も施さないことも知っている。大人と違って本音と建前の壁が薄いので、行動がより残酷になってしまうことも知っている。
 また、世の中にはどうやら本当に気の狂った人、理性のタガが緩んでいる人、隙あらば人を傷つけてしまう人がいるのも知っている。なぜ人を殺すのか。それは美味しそうだったから、ただ何となく、殺してみたかった、そんな理由が本当なのも知っているんだ。
 でも普通は電車で自分の目の前に座っている学生がそんな類の人物だとは思わないし、自分の行動範囲でそんな連中がいるとは思っていない。そして知り合いが事件に巻き込まれてしまうとは想像すらできないのだ。安全なところから平穏な日常を脅かされた代償、ニュースを読んで不快な気分にさせられた落とし前、安全対策を意識させられるコスト、勝手に被害者に感情移入して罰を与えたい気分を満足させるだけだ。
 彼ら/彼女らは多分人生を恨んで、とかそんな負の感情に染まった人よりも始末が悪いと思う。捕まえて昔のように爪を剥ぎ足の裏を山羊に舐めさせ針を刺し焼きごてを押し付けて車裂きにしたって殺した理由がないもの。のれんに腕押し。「地獄はここに」では悪魔だの鬼だの書かれていたが、僕は妖怪に近いと思う。口裂け女みたいに彼ら/彼女らに目を付けられなければ逃げ切れる。そして殺される理由はよくわからない。何年かに1度世間に現れるのもそれっぽいね。
 だから僕は、知り合いが不幸な事件に巻き込まれないのを祈るしかないのだ、ただの脇役なのだから。


 大塚英志の「多重人格探偵サイコ」は今やよくわからない世界に入っている。12巻くらいまでは面白かったんだけどな。そこで天皇を出すのか!? みたいに。大塚英志も異常に執着した人で、どこかの本でいわゆる保守的論壇人が実は天皇擁護派ではないみたいなことを書いてあった。さもありなむ。美濃部達吉の天皇機関説だって、そういうことを考える土壌があり、そして公開したのだろう。一般人はともかくとしても、ある程度以上の知的水準を持った人は天皇の役割って人格ではなくて存在とか機関とかを重視するんじゃないかな。
 だから、僕にとっては「地球から来た男」って古いネタではある。でも、あの世継ぎ問題とかを抽象化して物語にしてしまう手口・SFの凄さを見ることができた。これってかなり高等なテクニックだよ。
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