Tellurは、……現在色々物色中です。

ある地方でのこと

2010年12月30日  2010年12月30日 
 先日、職場の下戸同士で集まり夕食会を開いたときに、偶然住んでいる場所の話題となった。
 たまたまその場に集まった皆は同じ県に住んでいた。僕が一番会社(東京)に近く、他の人達はかなり遠いらしい。まあ1人は交通の便が悪いことで有名なN市だし、そもそもみんな通勤に2時間とかかかっているかならーと思っていた。いつしか地元の田舎自慢となったため、かつて中高の頃住んでいた町を思い出した。
「駅の周りにもコンビニがないから町に不良すらいないんですよねー」
 そう発言したら、みんなからそれはないとかコンビニがないなんてありえないとか酷い言われようだった。え、田舎というか地方というか、都会じゃない所ってそんなもんじゃないの? つーかボロクソに言ってくれるが、かつて僕の住んでいたそこはこれでも住宅地だったんだぜ? 東京まで電車に乗っている時間はこの場にいる先輩たちよりも短かったはずだ。終電が10時半とかそんな連中にド田舎なんて言われたくねーよw どうやら田舎と言っても東京から時間がかかるという意味での田舎と、文化や民度が低いという意味での田舎と、2つの意味があることをただ一人で知った。
 そんな感じでまた1つ世間を味わった中で、少し考えてみた。でも駅周りにコンビニがないのが田舎の条件だと思うけど……。

 人によって田舎とか地方とかのイメージは違うと思うが、僕は住みたくない。非常にストレートな物言いだけどそれなりの理由がある。別に僕の経験が田舎全てに当てはまるわけはない(つーか、一応は住宅地に住んでいたんだから「田舎暮らし」という言葉から思い浮かぶ世界ではないんだよな)。でも都会化から漏れてしまった地域の、それも2chですら書き込む対象ではない世界の姿を記録しておくのは僕にとっては意味のあることなんだ。


 僕は転勤族の子供で、小学校~高校までは関東地方の某所に住んでいた。ちょうど東京駅から電車で1時間程度で最寄り駅まで行くことができる。ボカして書いてるけど、一応は首都圏に入っている。バブルの頃は家の値段も相当高かったらしいのだが、いかんせんこの不況で価値が暴落してしまった。そんな田舎町だ。

 上に書いてしまったが、僕がその頃住んでいた町は駅の周辺にコンビニすらない有様だった。引っ越したバブル末期時には数年したら開発されるとか甘い言葉があったけど、それから10年しても全く変わらない町だった。駅から少し離れた場所に旧商店街+旧住宅街があり、そこから広大な田んぼが広がり、田んぼの真中に小学校・中学校がある。さらに駅から離れると、僕の住んでいた住宅街とゴルフ場が田んぼの中にぽつんと存在する――そんな世界だった。当然ながらテレビの映りは悪く、衛星放送もNHKのBS程度しか、携帯電話なんて電波が入らない感じだ。インターネット? なんだそれは。その当時(2002年くらい)でも東京から少し離れるとそんな住宅街があったのだ。
 誤解されるといけないから書いておくと、住宅地の規模としては多分小さくはなかったはずだ。4丁目まであり、それぞれ150軒以上の家があったはず。最低でも500以上の世帯はあったと思う。一時期はスーパーマーケットが近所に出店したくらいなのだ。小学校だって新しく建てられたし、色々と売りポイントはある。「広い間取りの家、近所に広大な公園があり、テニスができます。ゴルフ場だって歩いて行ける距離だし、近くに川もあるので釣りができます。なにより住宅地の中心に小学校があり、さらに子供たちの遊び場も多数」。あ、書いててどんどん田舎っぽさが出てきた。
 そんな環境だったが、僕が成長するにつれて「限界住宅地」っぽい雰囲気を醸しだしてきた。
 最大の問題点は、交通の不便さが挙げられる。住宅地から最寄り駅まで徒歩1時間半以上。自転車だと田んぼのど真ん中を突っ切ります。ゆえに車やバイクが必須になる。バス? ラッシュ時でも1時間で3・4本しかなかったはずだぜ。そんな艱難辛苦を乗り越えると電車がラッシュ時で1時間3本程度という試練が待っている。
 それでもバブルと崩壊後の数年は良かったのだ。いつか開発される、今を乗り越えれば電車が東京駅まで直通になる、そんな幻想を抱くことができたんだ。でも頭を冷やす余裕が生まれた頃に発見したのは、利便性の高い隣町に住宅街が開発されて失敗作を掴まされた自分たちの姿であった。余りにも田んぼのど真ん中を電車が通るから風雨の強い日は電車が動かなくなったりするしな。

 そんなこんなで人口流入の減少が大きな影響を与えた。バブル最後にスーパーマーケットが建てられたものの、それ以降の商業施設が全く作られなくなった。確かめようがないが、住宅地周辺への商業施設建築を反対する動きが、その当時あったはずだ。今となっては理由はわからない。
 公民館や図書館がついに駅の近く(家から歩いて1時間半)にしかなかった。現在(と言っても数年前だけど)見に行ったら、ついにスーパーが閉店し、代わりにシルバーケアがあったぞ。
 住人の意識も悪化した。長く住むにつれて近所ともなあなあで付き合う。するとすべての意味でだらしなくなるんだ。車は道路に出しっぱなし。庭の手入れも行わない。飼い犬は犬小屋に閉じ込めて散歩しないので、延々と鳴きっぱなし。なぜか週末の朝は10時頃でも誰も外に出ていない。ゴーストタウンみたいだ。
 僕の当時の隣人もまたとんでもない人で、今で言うゴミ屋敷な家だった。しかも毎日庭で何か燃やしている。僕の家中の電気を消すと炎が見えるんだ。10年近く住んでいたんだが、ボヤすら起こらなかったのは奇跡だと思う。

 そして、何よりも問題だったのは教育環境だった。僕が子供だったからそういう視点で見ていたわけだが。住居環境的に車必須であるため普通に暴走族(つーか珍走団と呼んだほうが近いかも)が誕生する。ヤクザとかになるわけではないが(僕が知らなかっただけかもしれないけど、そもそもヤクザが出て来るほど利益のある産業すら存在しなかった。さすがに田んぼじゃヤクザも困るよねえ。道路工事だってほとんどなかったし)、昼間は高校をサボって隣町まで出かけてうろつき、夜はバイクで一っ走りな陽気な人々が多かった。
 近所にできたスーパーには本屋はあったが、有名雑誌+マンガしか置いていなかった。教科書すら売っていなかっただろう。しかもマクドナルドとゲームコーナー付き。住民の数は多いはずだが、それでもペイしないと判断されたのか、カラオケのような娯楽はついになかった。
 僕の同級生は小学校で100人ほどいたが、その内10人前後は中学受験。いや、非常に多いほうだ。しかもみんなそれなりの中学校に入ったし。中学受験をしなかった連中は、近所の公立へ。そこから一部はちゃんと高校へ行き大学やら就職をするらしいが、一部は高校で暴走族となる。行き着く先は親の脛齧り。中学受験組も地元の友達と遊んでて気がつくと大学まで保証されてるのに一人は明治→体育大学だし、一人は系列中学→別の高校と。何のルート脱線だ? 恋愛ADVならびっくりだ。
 そして中学受験組の家庭は良くわからないけど同じ中学受験組の家庭と交流するのを好む傾向があるっぽい。近所とかが切れてしまうんだね。これって藤子不二雄の短編集で見た砂漠の町を脱出するマンガを思い出してしまうが……。確かに近くの公立中学と私立中学だと高校進学なども含めて話題が違い過ぎる。
 結局は可能性の欠如なのかもしれない。刺激と書くと別の意味も混じるが、要は中学・高校と色んな物を吸収して考えることのできる時期に、小学校でも見た代わり映えのないものを延々と見せられて、それでも年齢相応にバイクが解禁される。将来性なんてどん底だから親も焦るべきだが、周りを見ると意外と同じような行動をしている子供は多いのだ。だから子供は刹那的に生きるし親だって何も言わない。
 団地ができて長くても15年程度だったことも楽観視していた理由の一つだろう。子どもが5歳の時に引っ越しても20歳になったばかり。もう少ししたら大人になって、就職もするさ。周りの家族だって同じような状況だし。それに我々(親)だってまだ若いからパラサイトを飼う余裕はあるさ。

 とにかくそんな町、もとい住宅街だった。周囲から隔絶され、引越しによる流入が少ない上に新しく開発された番地に住むために価値観が固まってしまう。番地ごとに子供の年代、そして親の年代がある程度揃っている環境。周囲に娯楽施設が、ビデオ屋・カラオケ・書店などがない上にテレビもろくに見れない、ネットも常時接続できない(断っておくが2000年代の話だ)ため、時間の持て余した人々は井戸端会議か近所のスーパーでバイト(これも最終的には店員と客が顔見知りなので雑談所状態だった)に精を出す始末。悪しき田舎の雰囲気がピンピンとしていた。
 その一方で都会人特有の悪しき身勝手さも大いに発揮された。ゴミ捨て、生協、まあ色々とそれはもう自己中心的に動く人も数としては少なかったものの一部ではいた。路上駐車は当たり前。まあ邪魔だからどかしてくれと「お願い」すれば応答するだけマシだとも言えないことはない。本当にどうしようもない連中は逆ギレするらしいから。
 そうそう、家の外壁塗装もネタだった。以前に楳図かずおのシマシマハウスが話題になったが、シマシマまではいかなくとも周囲がクリーム色の中に一軒パステルグリーンとか、なかなかやってくれる家が増えていた。いや、これをもって都会人はとか田舎者はとか言う気はないが、庭や駐車場から雑草を生やしてるのに家だけを塗り替えても、ね。それくらいしか楽しみはないのだろう。
 極めつけは住人の存在感の薄さ。周囲に道路がないから活気がないこともあるが、それにしても閑散とした雰囲気だった。いや、人はいるのだ。理由はわからないが、引越して出て行く人はいないため、住んではいるはずだ。でも外で人を見かけない。大学受験勉強をしていた頃、気分転換に外に出たりしたが、犬の散歩ですら滅多に出会わなかった。今住んでいるところは昼間は当然のこと、早朝も夜中も犬の散歩にであるので、やはり異常だったのかもしれない。

 最終的に僕の家族は引っ越した。中学から地元を離れ、コンビニとか本屋とかに触れ合っていたから(大げさだけどw)未練は全くなかった。当時、新築を買うとバブル期の1/5以下の価格。中古物件はそれ以下で手放された。僕の小学生時代はそんな交通の便の悪い中で育ったということか。
 数年前にふと見に行ったときが最後だった。今どうなっているのか知らない。あれからリーマンショックなど色々景気の上下があったけど住人に影響を与えているとは思えない。
 風の便りだが僕の同級生は3兄弟そろって暴走族のリーダーとなったらしい。周囲の子供(女の子)持ちは怯えているそうだ。僕自身は小学校時代の彼を知っているから意外ではないものの警察のお世話になるとまでは考えていない。でも世間の水準ではDQNと呼ばれる種族なんだろうな。
 引越しをしてから数年後、かつて町は隣の市に吸収合併された。前々から話は出ていたがやっと実現したらしい。町の名前は駅名として残っているから、その点ラッキーだろう。そういえば駅周りの再開発も行われ、駅から徒歩15分の距離にコンビニができた。……あれ? 駅を利用している人には意味ないよね? 住宅街にあったスーパーは撤退し、駅近くに新たなスーパーができた。その代わりシルバーケアハウスと薬屋と精神病院が住宅街に建設された。個人病院ですら相変わらず駅まで行かなけりゃない。
 冬の午前中だったが、道路に人の影が見えず、晴れていたのに暗かったことしか覚えていない。

 別にこの経験から何かを結論つけることはしない。逆に、生々しすぎて一般論として当てはめる気になれないんだ。「田舎が嫌」からスタートした回想だが、僕が普通に会社員になってオタク生活を満喫出来ているのは運が良かっただけだ。教育環境への絶望・中学受験・引越し・大学受験。全ては親のおかげで今ではこうして元地元を馬鹿に出来る身分になった。
 都会ではないが田舎ではない、田舎にすらなれない、そんな見放された世界を書き留めたかった。バブルの乱開発によって田んぼの真ん中に住宅地を作り、住宅の中だけで生活をする。土地を持っていた人たちとの交流は全くないため、開発も優先されない。今の時勢、田舎ですら店やコンビニはあるが、それは旧商店街に出店され、住宅地には何の影響もない。話だけなら田舎だけど、でも家と家主は一応は都会の行動様式で動いている。そんな田舎ですらない忘れられた島。10年もすると当時のサラリーマンの多くは定年になり、その後病院すらない環境でどうやって生活するのか想像もつかない場所。住民が2chとか使えないから誰も知らないだけで、東京周辺は実はこんな場所がいくらでもあると思うんだ。
 ただ一つ学んだのは、子供への教育の必要性。そして路上駐車・ゴミ出し・夜中にゴミを燃やす家の有無を確認してから家を買おう、と誓ったことだけだ。
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