Tellurは、……現在色々物色中です。

西城秀樹のおかげです(森奈津子、ハヤカワ文庫、2004)

2011年1月30日  2017年2月24日 
 世に言う「書評サイト」には頭があがらない。特にビジネス書やルポではなくフィクション(ラノベも含めて)がメインの書評サイトには。
 小説ってのはある意味読むのに時間がかかる。登場人物を見渡し、しかも性格も把握しないといけないのだ。その上で物語が始まる。しばしば語られる小説の面白さがわからないってのはここから来てるのではないか。ラノベはさらに「設定」と呼ばれる代物があるので地獄絵図。だから散々軽いだの何だの言われてるけど、ラノベを最初から最後まで読める人はある種の情報処理能力が優れているのだ。僕も去年断章のグリムを数年ぶりに読んだからわかる。必要な説明が丸ごと欠けてたりするんだよ。
 で、一方で感想を抱きようもない作品もある。撲殺天使ドクロちゃんという作品がある。ラノベの定式を崩したとか、色々言及・評価することもできなくはない。けれども一言で表現するならば「エンターテイメント」の一言で済まされるだろう。読む側が過剰に読み取らない限りは大した意味があるとは思えない内容。普通ならば通勤・通学の合間に読み飛ばされて「あー面白かった」で終わる。言い方を変えると面白いけどそれ以上の中身のない小説とでも書くべきか。小説の一部にはそんなジャンクフードのような作品もあり、それらも含めて小説の広さに貢献している。

 で、この「西城秀樹のおかげです」はそんな中身のない(失礼)小説の1つである。シモネタというかエロネタというか、どうしようもない性的なネタを書き連ねる。でも官能小説じゃないんだよな。官能小説よりも下らないというか、エロさがたりないというか。いや、違うな、ズボンを下ろして臨戦態勢をとったものの馬鹿馬鹿しい内容に萎える、みたいな。
 実はこの下らなさがこの作品の特徴でもある。森奈津子は今も小説書いてるんだけど、実録レズビアンみたいな完全な官能小説を書いていたりする。ただのエロ小説になってしまっているのだ。別に(自称)バイセクシュアルとしての売りを云々言うつもりはないけど、純度100%の官能小説に行ってしまうのはもったいないと思うんだがなあ。ぶっちゃけ官能小説として読むとそこまでエロくないし。
 面白いことに「西城秀樹のおかげです」はそんな官能小説にもなれないシモネタエロ小説なんだけど、そこがかえって凡百の官能小説とはちがうのだ。あまりの下らなさに笑うしかない。その笑いは御世辞にも上品なものじゃないけど、逆に愉快な部分が光るのだ。雰囲気的には快感戦士バスティー? わかる人だけわかれば良いけど。要は官能小説のお約束に飽きた人にはたまらないスパイスとして笑いを混ぜ込んでいるのだ。
 そんな楽しい小説だから当然中身がない。でも気にしない。「西城秀樹のおかげです」はシモネタ混じりの脱力系笑いを味わうための小説なんだから。
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