Tellurは、……現在色々物色中です。

ゴジラVSデストロイア

2011年1月3日  2017年2月24日 
 ゴジラ死す。1984年公開のゴジラより始まる平成シリーズは1995年ゴジラVSデストロイアで終わりを告げたのだった。その後もゴジラは復活したものの、シリーズ化やゴジラの最期の瞬間など独特の立ち位置を収めた平成ゴジラシリーズはこれきりだった。
 平成ゴジラシリーズ最大の特徴としてはシリーズだったことが挙げられるであろう。ビオランテより出演するも一貫して脇役であった三枝未希。超能力という設定。作品を追うごとに改良されるスーパーX号。そして過去作品からのキャラクター出演。今作ゴジラVSデストロイアはそれまでの平成ゴジラシリーズにあったこのような要素を贅沢に使用した作品である。

 それはともかくとして、蒸気を出してる赤いゴジラ、格好良い! 核反応の暴走で体内で焼けている(んだよね?)のだ。熱線もオレンジ色となり、ゴジラの異常を表している。ストーリーは、1954年に科学の力で倒した怪獣であるゴジラと、その影響で蘇った怪獣デストロイアを対決させる。そしてゴジラの死を描くただそれだけだ。ゴジラのおびき寄せ&デストロイアの足止めとされたゴジラジュニア――VSメカゴジラでのベビーゴジラ――は倒れ、東京はメルトダウンにより壊滅したのも全てはゴジラの死のためにある。というか、デストロイアの吐くオキシジェンデストロイヤーを地上で撒かれていたためメルトダウンがなくても死の世界になったはず。かくして人類は勝利のようなものを収めたのだった。

 ゴジラVSデストロイアは一番初めの、1954年ゴジラを念頭においたある意味でのオマージュである。1954年のゴジラが核に対する警鐘として存在し、オキシジェンデストロイヤーで倒したのに対し、平成シリーズはゴジラという驚異へある時は遺伝子工学を、ある時は環境問題をテーマに挙げつつ、今作では「科学」そのものの驚異を取り上げたのだった。
 かつてゴジラに象徴された核の脅威は、戦後間もない時期だったために「核」であったが、その本質は科学、さらには人間の欲望そのものであった。例えばヘドラは公害そのものであり、ビオランテは遺伝子工学。しかもビオランテではゴジラの核反応を制御できるはずの抗核バクテリアがエゴのぶつかり合いによって発明者もろとも消え去ってしまった。VSデストロイアではゴジラを倒すためだけにオキシジェンデストロイヤーを再度開発しようとし、それが不可能だと知るとあろうことかもう一体の怪獣とゴジラを戦わせようとする。それはVSビオランテでの日本核武装論だったり、VSキングギドラでの日本国力削ぎ計画などにも共通した姿勢である。その結果、ひとまずゴジラ、驚異そのもの、は溶けて骨となった。
 しかしゴジラはいなくなってしまったわけではない。人間の欲望による驚異の広義の象徴であるため、また何度でも復活して東京を火の海に変えるだろう。物語的にもメルトダウンを起こしたゴジラによって急激に上がった放射能濃度(放射線な)をゴジラジュニアが吸収して生き返りゴジラと成長する描写がある(少なくとも僕はあのラストシーンはそんな解釈をした)。ゴジラジュニアはシリーズを通して人間によって制御された科学を象徴しており、それがゴジラになったのは皮肉にも思えるが、まあめでたしめでたしとなるわけだ。僕たちは歴史的に昔は驚異そのおのであったゴジラが正義の味方になったことも知っており、三枝未希を通して圧倒的な力を持ったデストロイアに立ち向かったゴジラジュニアに感情移入をしてしまうが、そもそもゴジラジュニアもそれなりに暴れん坊なわけで。それが復活して喜ぶのも変な話だよなーと思う。

 さて、今作は冷凍兵器。久々のスーパーXだ。ビオランテ以来ということだけあって、スタイルがとても良い。近未来的だけど現実にありそうな、でもよく考えたら飛ぶのが難しそうな格好良さを誇っている。乗組員のあの方もビオランテのあの人。対ゴジラ作戦室といえばこの人を思い浮かべてたので、久々の登場でうれしい。スタッフの方々もわかっているねえ(ただし役者は違うらしい。でも多少顔が変わったほうが時間の経過を表せていて良いと思う)。ついでにメーサー戦車も心なしかやたらにスタイリッシュになった? 怪獣映画ではヤラレ役以上の存在ではないが、格好悪ければ面白く無いからね。メーサー戦車もスーパーXも今作では冷凍兵器。もともと原発事故や核戦争用に用意していたらしいが、真田さんでもいたのだろうかw 普通のメーサー戦車と同じくらい大量にいたぞ。これら冷凍兵器で体内温度の上がったゴジラを凍らせて爆発の衝撃を防ごうと、それを軸にストーリーが進むのだ。
 まあぶっちゃけラスト近くのデストロイア戦→ゴジラの最期が全てだよ。それまでの人間模様なんてどうでも良い。デストロイア幼体と特殊部隊の戦いなんて、エイリアンの爪の垢でも煎じて~ってなほどだったりする。たしかに今までのゴジラ映画では人間と怪物の戦闘なんてないけど……ガメラ2のレギオン戦闘を見ちゃったしねえ。さすがにガメラは人間を描かすと上手い。その代わりガメラ2の怪獣同士の戦いは不完全燃焼気味だったけど。どちらも一長一短。棲み分けが大切。

 そして今作の目玉は超能力の代名詞、三枝未希の役目が終わったことにある。三枝未希ってのも平成ゴジラが特異な立ち位置にいた象徴でもあって、個人的には綺麗に物語を閉じることができたと思う。彼女は何ていうかVSメカゴジラの頃からゴジラの母親的存在になってしまっていたからね。このままシリーズが続いてもゴジラが正義の味方になって、つまらない映画になってしまったかもしれない。もう1人の超能力者はなかなかドライで、この人のほうがゴジラの巫女としてはふさわしいかも。まあ、ゴジラと共にバトンタッチを描けてよかったのかも。

 今作のゴジラ。上にも書いたけど、赤くて格好良いのだ。夕闇に映えている。放射能を吐くときも背びれが黄色く光って、そしてオレンジ色の熱線が出る。デストロイアとの最終決戦なんてゴジラの周りにコロナができて辺り一面吹き飛ぶんだぜ。すげえ。しかもゴジラは蒸気を出し続けていて、それがまた神秘的というか何というか。デストロイアが爆発した炎を背景にゴジラが溶け始め、それをメーサー戦車部隊が冷凍光線を浴びせ続けるってのも絵になるよなあ。ゴジラは最初から最期まで、メーサー戦車に砲撃され続ける存在なのも感慨深いものがある。冷凍光線がダイアモンドダストみたいになってるさなか、ゴジラの皮膚が溶けて、一瞬だけ骨が見えて崩れ去るのがもう最高。背ビレが爆発して、吹き飛ぶなんて日本の特撮の芸術性を見事に表しているんじゃないかなあ。


 怪獣ものって観客数が少ないと簡単に打ち切りになるから、ゴジラの死を丁寧に描いてくれた意味でも重要な作品だと思う。デストロイアの生態とか、デストロイアに止めをさしたのがG-フォースとか、色々不満を抱くかもしれないけど、それでもあのラストシーンのために見る価値はあると思う。僕の考える平成ゴジラの面白さは

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だろう。
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