Tellurは、……現在色々物色中です。

ターミネーター2

2011年6月19日  2017年2月24日 
 僕が学生だった頃、何となく世界が終わる気がしていた。子供の頃に読んだノストラダムス本の影響だったかもしれないし、紫の鏡とかの影響かもしれない。どちらにせよ何となくの終末的感覚が中学・高校の頃はあり、それが破られたのは2001年の同時多発テロを見てしまってからである。
 さて、それまでの終末的感覚はある意味で思春期特有のセカイ系の1つの現われだったのかもしれない。僕の勝手な想像だけどエヴァにハマった人って閉塞感を具体的に映像で表現してくれたことが理由の1つじゃないかな。さらにはシンジ君が彼ら視聴者の代弁として戦ってくれる。所詮は作り物の映像作品だけど、だからこそ変なリアリティがあったのだと思う。

 そう考えて思い返せば、僕にとってのエヴァはジェームズ・キャメロン監督のターミネーター2だったのかもしれない。
 この作品が公開されたのは1991年。1984年に公開された前作「ターミネーター」の続編としてであった。実は「ターミネーター」もかなり暗い内容(僕の主観)なのだが、ターミネーター2に至っては「審判の日」が具体的に映像化されているなど、さらに暗い内容となった(何度も言うが僕の感想。人によってはT1の方が暗いと感じるだろう)。この記事を書くために、Wikipediaで調べて、ターミネーター2が1991年の作品ということに驚いたよ。それこそ1984年とか、ソ連との冷戦真っ只中で核戦争が身近に感じられた時期だと思い込んでいた。それくらいの終末的な感覚が漂っており、僕の思春期に大きな影響を与えたことは間違いない。子供たちが遊ぶ平和な日常、それを一瞬で崩壊させる核の光、30億の人口が消え去り、昏い闇にビームの光が飛び交う中で機械に蹂躙される人類の未来。正直、オウム真理教による地下鉄サリン事件には僕が幼かったこともあってかあまり衝撃を受けなかったが、1つの理由としては「終末」のイメージからほど遠かったからかもしれない。地下鉄の中という日常の出来事だったサリン事件と明らかに非常事態な機械との戦争では違いすぎる。まあフィクションとの区別がつかない若者っぽいセリフだがオウムの頃は小さかったという言い訳をさせて頂く。

 で、この終末観なんだけど、Fallout3をプレイしたとき、ターミネーター的未来っぽいと感じたんだ。Fallout3は核戦争が起こり社会も都市も荒れ果てたアメリカを探検する物語であった。ちなみに僕は3D酔いがひどかったので序盤しか遊べてないから以下の感想は想像がかなり入っている。
 面白いことにアメリカってのは何か崩壊した自国ってのを執拗に描いている気がする。それは冷戦時代に核戦争の当事者となる恐怖を味わったせいなのか知らないが、Falloutシリーズもそうだ災害パニック物とか建造物の崩壊を俯瞰視点からでも登場人物視点からでもネチネチと描いている。それは日本の怪獣・特撮物が俯瞰視点からしかビルや町の崩壊を描いていないのとは対照的だ。壊れていく世界に対してエロスを感じてるのかなーと思ってしまうくらいだ。
 そんな自国の破壊にある種の憧れをもって描いているのがターミネーターの1つの面である。アメリカを豊かにした功績者である機械によって滅ぼされる美学。T1は明らかな機械VS人間であり、最終的にジョン・コナーを宿すという理由によって人間が勝利し(この機械に対する人間の勝利はさよなら銀河鉄道999アンドロメダ終着駅でも「永遠の命」として描かれている)、T2でも同じように人間と機械が対立する作りとなっている。
 サラが無意味にマッチョなんだよな。物語的には機械と戦うためとか理由を想像できるけど、殺戮機械であるT-1000との対比として「女戦士」という絵面はインパクトがあるものだ。そして「未来」を変えるために採った行動最終的には1技術者に対する否定と犠牲、サイバーダイン社で研究された技術の廃棄であった。
 テクノフォビアという言葉があるが今僕がターミネーター2を見ると技術だけでなく近代をも嫌っているような気もする。序盤のジョンの育ての家庭に対する崩壊っぷりと中盤のメキシコ革命軍(革命軍なのか?)の「家族」っぷりはこれでもかというほど正反対だ。
 サラが精神病院に収監されていたことも面白い。前作を見た視聴者はサラが真実を語っていることを知っているが、物語中の警察はそれが妄想と一蹴している。映画がメタ的な構造をしてるんだ。しかもサラ自身も情緒不安定で病人っぽくて、現実でこんな人がいたらそれこそ病院行きなんだなと思わせる姿。ストーリー的には「病気」と診断されたことが誤りで、しかも実は世界を救う戦士となってしまうんだけど、何となーく病気という近代システムを皮肉ってる気がするのは僕だけだろうか。

 このターミネーター2を見て気付いたのは、主人公側の登場人物は銃器を扱うとき、必ず弾薬を補充しているのだ。シュワちゃんが活躍する「ラストアクションヒーロー」で主人公は弾薬のリロードの概念はないと皮肉られていたが、それに対しての返答となっている。
 T-800やサラは弾幕を作っては弾丸の補充を繰り返す。序盤ではジョンにリロードをさせていたし、サイバーダイン社から脱出するときもT-800はガトリング砲を弾の限り撃ち尽くした。そしてそれが最大の山場となるのが溶鉱炉でサラがT-1000に対してショットガンで追い詰めたとき。あと一歩で弾切れとなり、その結果、映画史上に残る屈指のシーンと繋がる。僕は無知だから前例があるのかもしれないが、マンガとかで眼が光ることで不気味さや強さを表す表現ってもしかしてターミネーター2のこのシーンが一番最初じゃないの? マジでわからないから誰か教えて欲しい。普通に考えて目が光るなんて春風亭工房の人以外にはロボットしかありえないから……。
 そして勝利した後のT-800の選択とサムズアップ。これまで機械に対しての嫌悪感を滲ませていたが、人間との和解の可能性を示したラストシーンは感動的でもある。
 まあ、ジョンたちが頑張っても「審判の日」を免れることが出来なかったT3でせっかくの感動もぶち壊されるんだけどなw

 結局、僕の世紀末は2001年の同時多発テロで壊れてしまった。あれを「映画的」と表現した人がいるけど、僕にとっては実は逆で受験勉強してる最中に親が声を上げたので見てみたら飛行機がビルに突っ込む瞬間だった。その日はもちろん勉強どころではなかったが、確か翌日は学校にも行ったし、テロが特段に僕の人生に影響を与えてはいなかった。その日常への自然な侵攻がかえってリアルに思え、「終末的」に感じてしまったのだった。
ー記事をシェアするー
B!
タグ