Tellurは、……現在色々物色中です。

ゴジラVSスペースゴジラ

2011年7月4日  2017年2月24日 
 んー、こんな作品だったかなあというのが感想。初めて見たのは小学生の頃だったけど、その時受けた印象とは全く違うなあ。当時は純粋なエンターテイメントとしてまさに楽しく見てたけど、今見たら詰め込みすぎの印象を受ける。いや、問題はそこじゃなくてスペースゴジラとゴジラが戦う理由が薄すぎるのか? それとも人間サイドの動機付けが不十分なのか? どこに不満があるのか自分でもよくわからないが単なる怪獣プロレスだから、エンターテイメント路線だからダメっという単純な問題ではない。

 この作品の人間サイドは結城晃のゴジラへの憎悪の克服と、マフィアとの攻防戦と、三枝未希の恋愛が主軸となっている。明らかに詰め込みすぎ。しかもこの内、マフィアとの攻防戦は特に必要ないシーンだった気がする。攻防戦により三枝未希のテレキネシスが目覚めるが、テレキネシス自体なくても良かったと……。より一層ファンタジーに拍車がかかってしまった要因だと思う。
 対して結城サイドのストーリーはなかなか見ごたえがあった。ビオランテと時間軸を共有することを示す権藤一佐の物語。スペースゴジラ打倒の指令が下っていたにも関わらずMOGERAをゴジラに向かわせる憎悪。それを克服し任務を果たす姿。まあ、スペースゴジラとの絡みはないというか、結城がMOGERAのクルーに選ばれなければ話が進まないため、結構強引に結城とスペースゴジラを絡ませてたと思う。宇宙怪獣という完全にスタンドアロンで設定されたスペースゴジラの弱点だよなあ、この動機付けの不足さは。メカゴジラにしてもキングギドラにしてもゴジラを倒すことが主人公の目的だったので話の進め方に違和感がなかったのだが、この作品はかなり無理をしてた感がある。
 で、最終的には恋とテレキネシスが出てきてしまう。映画が公開された1994年時点でテレキネシスという言葉でリアリティが薄れてしまっていたのだから今から見るときついなあ。しかも上に書いたとおり、なくても構わない要素だったのが一層不要さを際立たせているのだ。せっかくのT計画をもっと有効に活用できなかったかなあと思う。
 最後のシーンでリトルゴジラが放射能を吐いてしまうのもそれまでのVSシリーズとは相容れない感覚がある。僕としてはリトルゴジラが放射能を吐くのはアンハッピーエンドじゃないかと思うのだが、どうだろう。

 平成VSシリーズが好きな人はVSスペースゴジラを嫌う人がいるらしいが理由がわかった気がする。僕も他人に勧めるかと問われると、他の作品を選ぶ。映像が面白くないわけじゃないのだが、ストーリーが薄いのが最大の欠点である。
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