Tellurは、……現在色々物色中です。

「トゥモローランド」(ブラッド・バード、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、2015)

2015年6月17日  2017年2月24日 
 たぶん皆言っているだろうが、でも僕も書いてしまう。オールドスタイルの近未来の描写が素晴らしい、と。
この映画の魅力の大部分がビジュアルであったことを否定する人は少ないのではなかろうか。

 僕はディズニーランドのことをあまり詳しくなく、よってトゥモローランドがそもそもどんなアトラクションかわかっていない。イッツ・ア・スモールワールドの音楽とともに人形いっぱいの広間を抜けるという理解に留まっており、そんな僕でも特に映画の理解を妨げなかったのは果たして「トゥモローランド」を題材にとった映画として幸せだったのか判断できない。もっとも、ディズニーランドが好きな人からすれば裏の意味がごく当たり前に見えているのかもしれないが。
 そんな僕が見たトゥモローランドだが、ストーリーは以下のとおり。

地球人には知られていないが、異次元にエジソンなど天才たちが作った科学の発達した都市「トゥモローランド」が存在する。密かに見込みのある地球人にバッジを渡し超科学都市を見せて勧誘する。高校生のケイシーは悲観主義が漂うこの世界に嫌気がさし、夢を求めて行動(NASAのロケット発射台解体工事の邪魔)していた。ケイシーは最後のバッジを受け取り、昔バッジを受け取ったがトゥモローランドより追放されたフランク、同じくトゥモローランドから追放されたがバッジを配り続けるアテナと共に地球を救うためトゥモローランドへ旅立つ。

 ビジュアルは最高。手塚治虫や藤子F不二雄の描く「未来」で育った僕としては、彼らの未来都市を実写で見せてくれたことに感動した。銀色のペラペラ服がギャグになっていない映画(ドラマでも良いけど)は初めてだ。
 特にトゥモローランドへ旅立つため、エッフェル塔が2つに割れて中からオールドスタイルの未来ロケットが現れる。このビジュアルだけでも映画館に来た意味はある。
 ストーリーも前半はどうやったらトゥモローランドへ行けるのか、追手からどのように逃げるのかハラハラさせられて面白い。忍者屋敷のようなフランクの家で追手から逃れるために様々なギミックを活用する絵面(やっぱりビジュアルか!)は僕の中にある子供の心を刺激してくれる。そうだよ、ギミックは大事だよ。密かに作っているレゴ作品も色々な遊びを搭載しようと誓った。

 だが、後半はストーリーもビジュアルも失速する。トゥモローランド都市を縦横無尽に駆け巡るのかと思いきや、風景の変わらないコントロールルームで言い合いをするのみ。地球人滅亡の原因がトゥモローランドのタイムテレビ(仮)なのだから、タイムテレビ(仮)を壊せば人類を救えるという理屈に単純すぎて絶対どんでん返しがあると思っていた僕は映画がそれだけで終わってしまったことに拍子抜けした。
 いや詳しく書くと、この映画の欠点は、現実世界の現在の悲観主義は別に異次元からの洗脳ではないってことが一番大きい。というか、楽観主義に従って使いたい放題、汚したい放題やった成れの果てが環境破壊や戦争なわけで、悲観主義は単なる反動でしかないかもしれない。もちろん僕も科学万能主義を受け継いでいるので悲観思想に反発を感じ、諦めないことが未来を切り開くというこの映画のメッセージには共感する。その一方で、地球人の滅亡を予言する装置が地球人に洗脳を施し、結果として地球人は滅亡してしまう構図はあまりにも現実を無視した責任転嫁のストーリーと言わざるを得ない。
 異次元からの不思議な機械が地球人を滅ぼそうとし、救う方法が異次元の機械を壊す。「諦めないことが大切」というメッセージではなく単なるインベーダーの侵略でも物語の構図としては変わらないのではないか。多分これってトゥモローランド世界が地球と離れすぎていて、視聴者(というか僕)からすれば同じ人間同士という印象を抱きにくかったことが原因だと思う。解決方法も映画内の理屈は通っているのだけれど、現実と結びつけるメッセージとしてはお粗末だった。破滅の原因に地球人の善意さを絡ませ一筋縄ではいかないし、スッキリした答えも出ないけど、より良い解決に向けて奮闘する主人公たちの姿を見せてくれれば最高傑作になったと思うんだけど、惜しい。
 それにしても物語中では言われていないが、科学がずっと進み、資源も(劇中では明示されていないけど)恐らく無限にあるトゥモローランド。住民も能力が高い上に自制や謙虚さなど感情的にも持続的な社会構築のために優れており、ある種の選民と言っても過言ではない。そんな人々が地球人に思想的に干渉し、滅亡から救う……。聖書のエピソードを現代風味に翻案した映画を見ているかのようだった。
 恐らくこの映画を作っている人も上の欠点は把握していたと思われ、劇中のラストシーンではトゥモローランドに招待される資格は「Dreamer」(日本語訳を忘れたが、「夢を持った人」?)と宣言される。ディズニーランドというレジャーランドのコンセプトと繋がるんじゃないかなと想像。しかし結局のところ、視聴者からするとエリートの世界という印象は払拭できていないと感じた。この原因は明らかで、トゥモローランド世界は普通の地球人から秘密にされているからだ。地球人は何も成長せず(トゥモローランドが情報を与えないので成長させてくれないのだ)、それゆえトゥモローランド世界はその存在を隠さざるを得ない。限られた人だけが知る権利を持つ世界となる。
 映画のメッセージは以上の欠点があると思う。

 とは言え、この映画の魅力を損なうものではない。はじめに書いたが、何よりもビジュアル。
 エッフェル塔のシーンは必見。
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