Tellurは、……現在色々物色中です。

「クリムゾン・ピーク」(ギレルモ・デル・トロ監督、レジェンダリー・ピクチャーズ、2016)

2017年1月26日  2017年2月24日 
 ある種のマンガ的な登場人物がズラズラ現れ、美しい屋敷の中で演じられるサスペンス……との評が一番適切であろう。ジャンル的にはホラー(幽霊映画)なんだろうけど、主人公のお嬢様があまりにも頭悪すぎて誰かの助言なしでは生き残れないから幽霊を登場させました、と言われても不思議ではないほど幽霊要素は薄い。戯画化された人間ドラマが見どころで、誇張された登場人物たちが過度にシリアスにもアップテンポにもせず、お上品な映画に仕立て上げている。幾つか読んだことのある19世紀のイギリス怪奇小説を映画化すればこんな感じになるんだろうなと思った。

 登場人物はこれでもかと言うほど浮世離れしている。あまりにも現代人とかけ離れているので彼らが変な行動を取ってもイライラする事はない。現代とは時代が違いますよーという設定をうまく使っている。主人公は箱入り娘で夢見がちで小説家志望という1人では生きていけないタイプ。まあ、だから父親が亡くなって(殺されて)、身一つでイギリスに渡ってしまったのだが。
 そんな主人公をたぶらかすのは胡散臭いイギリス人の姉弟。貧乏貴族で本作の舞台、クリムゾン・ピークのお屋敷を持っている。お金に困っておりイケメンの弟が結婚詐欺と妻の財産強奪を繰り返すことで生計を立てている。なお、姉は弟と恋仲で殺人を厭わない性格。弟に対する姉の執着が事件を明るみに出し、そして破滅を導いたのだから筋金入りである。弟は姉の言うことにひたすら従順に従い、実は弟って姉のことが好きじゃないのでは? とも感じてくる。それくらい主体性がない。唯一クリムゾン・ピークの粘土掘り事業に夢中になってるが、これたぶん私生活が姉に支配されてる鬱憤を粘土掘りで有名になる夢で紛らわしてるんじゃないかな。でなきゃ誰が見たってダメそうな粘土掘りにあそこまでお金突っ込むのも不合理だぞ。
 ともかく、現代の僕達とは当然生活も人生もメンタリティも全く異なる人々なので感情移入などせずに見ることが出来る。それもあって彼らがわけわかんない行動しても大きな心で受け止められるのだが。

 そんな中で現れる幽霊ってのは主人公を助けるためだった。だったのだが……真夜中いきなり出会うと怖いよ。これから幽霊になる予定のある人は、おどろおどろしい外見になるかもしれないと考えておこう。幽霊になったら、極力明るいところで愉快な雰囲気で人間に声を掛けないと逃げられてしまう。場合によっては筆談でも良い。この映画って幽霊がそういう気遣いをすればそもそも主人公が危険な目に遭うことはなかったのでは、と思ってしまうのだが、それは後の祭り。まあゴシックホラーのための舞台装置としてスルーを。
 そして幽霊が実は主人公に警告を与えていたという事実がわかって、それで幽霊の登場が終わったのかなーと思いきやラストシーンで結婚詐欺姉弟の姉の方から受けた襲撃から主人公を守るために現れる弟の幽霊(弟は嫉妬に狂った姉に殺された。どこのエロゲだよ)。なんというか、それまで怖い外見だった幽霊がいきなりVガンダムのラストみたいな人の意志が! 的な超自然的な力になっていて終わりよければそれで良しという気にさせられる。
 本当のラストシーンで姉弟が仲睦まじく物悲しげに幽霊となるのはこの手の映画の基本だろう。

 というわけで面白かった。
 何よりも素晴らしかったのは映像。木の葉が落ちる屋敷。幽霊より不気味な夜の廊下。粘土だとわかってても恐ろしい赤い粘土。登場人物たちが着る服も時代がかっていて様になる。屋敷のシーンはどこを切り取っても絵のように美しく、幽霊や赤い土がその後の展開を不気味に暗示している。
 あまり怖くないので、ホラーが苦手な人も見て損はない。
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