Tellurは、……現在色々物色中です。

「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」(ライアン・ジョンソン監督、 2017年、ディズニー)

2017年12月20日  2017年12月20日 
 全体的な感想としては、滅茶苦茶高水準。音楽、物語、ビジュアル全てが格好良い。けど、要素要素を見始めると途端にツッコミどころが出る。例えば以下のようなところ。

①シナリオは詰め込みすぎだろう。
 ・描くべき人数が多すぎ(前作では年齢を経たハン・ソロ&レイアを前面に出し、ポー・ダメロン&レイ&フィン&カイロ・レンは主役だが顔見せレベルで済んだ。一方今作ではメインを張るルークとレイアに加え、レイ&フィン&カイロ・レンを書き込むので単純に人が多すぎる)
 ・その結果、上映時間が2時間半近くととてつもなくなった
 ・せっかく前作で劇的に倒れたフィンを簡単に復活させるとはもったいない(これはレイアにも言えることで伏線という概念がない)
 ・レイも何か簡単にフォースの力が強まるのは展開が早すぎだと思う
 ・一方、銀河皇帝を倒したのは良かった。エピソード4~6は悪の権化がダース・ベイダーではなく銀河皇帝にシフトしたためダース・ベイダーの迫力が下がってしまったと思う(ストーリー的に父であるダース・ベイダーが改心したのは良かったとは思うが)。
 ・ルークが一斉射撃受けて無傷だったり、カイロ・レンとの戦闘でかわすだけだったりするのは、実は相応の理由があったわけだが、最強のジェダイ的なケレン味を出してて視聴者も騙されたと思う。てっきり攻撃体勢を解いた時、オビ=ワン・ケノービみたいに幽体になるのかと思ってた。
 ・ダースベイダーや銀河皇帝倒してもたった数十年後でここまで革命軍が追い込まれるのだから人間の性は悪なのかもしれない

②音楽は相変わらず高水準でスターウォーズっぽい。特に不満はなく、とにかく聞けばスター・ウォーズ世界に浸れる。

③キャラクターは多いけど、描き分けは出来ていたと思う。しかし、
 ・ポー・ダメロンってこんなキャラだっけ? あまりにも味方の被害を軽視し過ぎでは?
 ・日本人的には、最初から無人戦闘機による特攻作戦を取ったほうが被害を少なくできたのでは? と思っていた
 ・アクバー提督が見せ場もなく死んじゃったのはすごくもったいない。戦争の残酷さといえばその通りだけど、キャラ物として見ればもう少し格好良い最後が欲しかった。
 ・フィンはこの映画で何か成し遂げたっけ……?(一応、ラストに出て来る少年を開放してはいるが)
 ・C-3POとR2-D2がまったく物語に絡まないのが残念。スター・ウォーズってこの2体が傍観者として背景で絡んでいる物語だと思ってた。
 ・全体的に人外キャラ少なくない? チューバッカもそこまで活躍しないし……。アクバー提督が逝ってしまったのは痛い。ここはジャージャービンクスを召喚するしかないのか。
 ・前作からアウトローっぽいのがいないなあと思ってコード破りのDJに期待してたらシナリオ的に本当に悪者だったし途中で消えたのが小気味よい
 ・できればオビ=ワン・ケノービを出して欲しかった
 ・アナキンを出さないのは良かった。アナキンを安売りしてはならない。
 ・ファズマって出す意味ある? 敵サイドのフィンっぽい立ち位置だったけど、今作では可哀想だった。

④設定は神話として複雑化する一方であった。
 ・スターウォーズの常としてフォース設定いじりにしかなっていないのでいい加減そこから脱却しよう(今作がその試みなのだろうが)
 ・ガンダムにおけるニュータイプ論みたいで袋小路に入ってる
 ・etc...



 が。
 だが。
 しかし。
 全体を見るとこんな個々の疑問点を吹き飛ばすくらい勢いがある。ルークの生き様に焦点を絞っても序盤は意味不明だったが、中盤になると彼の過去もわかってウダウダも仕方ないと思えてきて、終盤はチャンバラだけではない彼独自の格好良さを見せる! 何だかんだ悟ったようなことを言いつつ、ジェダイと言えばチャンバラ、フォースと言えば体術(or攻撃的な超能力)という今までの定番を超える他人を守るためのフォースの力。スター・ウォーズで見たかったのはこのような英雄だったのだ。下手に悪人を斬って殺すよりも遥かに素晴らしい活躍をしていたと思う。
 ストーリーも序盤で革命軍が壊滅状態となり、どこかで援軍が来て逆転するんだろうと思っていたら、さらにまたさらにと追い込まれていく。物語的には革命軍は完全に敗北しているのだが、なぜか印象としては勝利と言うか希望を見出した終わり方。主役級のキャラがガンガン死んで母艦も失っているはずなのに、まったく鬱な終わり方でないバランス感覚はものすごい。
 そして何よりも、人々の物語として生まれ変わらせようとした試みが挑戦的である。

 今までのスター・ウォーズは(特にエピソード4・5・6)は神話として特別な生まれを持ったヒーロー、特定の血筋を描いた物語であった。それはよくできていた。原点であるエピソード4だけは無名で何の能力もないと思われていた世間知らずの少年が英雄になるお話であり、そこから後付で特別な出生や血筋という設定が生まれてしまったのだ。
 Amazonを探せば素晴らしい評論とかもあると思うので語らないが、現代で必要とされたおとぎ話として時代に合った作品だったと思う。シャルルマーニュだったり、織田信長だったり、ナポレオンやワシントンのような現代の英雄として必要とされ、しかも特定の国籍にとらわれずに見た人が全員自分のヒーローとして解釈できた優れた作品だったと考えている。
 ただ、2010年台に合っているかどうかはまた別だ。2017年を生きる我々は特定のイデオロギーが人々から必ず支持されるわけではないことも知っており、その特定のイデオロギーより「原始的」に思えるイデオロギーをむしろ好んで支持する人々が実は多かったことを知っている(さらに言えば、そんな「原始的」に思えるイデオロギーから見ればその他のイデオロギーは劣っているとみなされていたりする)。大きな被害をもたらした悪の親玉を倒しても、悪の親玉が作り上げた制度に他の誰かが座るだけで対立状況が変わっていないという情勢も聞いたことがあるだろう。しかも倒した悪の親玉はどうもかつて被害を受けた国が間接的に応援していたとか何とか……。
 月並みな言い方だが、現実世界は混沌の中にあり、出口は見えない。そもそも今の対立が本当に対立しているのかもわからない。そんな中でできることとすれば、我々1人1人が自分の中の信念や良心に従って行動する他はなく、全てを知って導く存在はもはやいないのだ(そもそもスター・ウォーズ世界だってジェダイ騎士団も普通に判断を誤っていたよね?)。かつての英雄は、時が経つと単なる時代遅れの石頭になってしまっているかもしれない。でも、そんな人こそできることがあって、自分の生き様と学んだことを次の世代に伝えより良い世界にしてもらうことなのである。
 なぜルークは序盤にネチネチ謎をかけるだけでレイの発言(=ジェダイに対する信仰)をことごとく否定したのかと言えば、それはレイを通じて視聴者を一度否定しないと前に進めないからだろう(実際に見ると長ったらしいけど!)。スター・ウォーズにおけるお約束は現実世界ではバイアスとでも呼べよう。それを乗り越えるには古い観念を否定する必要があったのだ。
 もはや未来は、高貴な生まれの特別な資質を持った王様が作るのではなく、個々それなりに固有の能力は持っているかもしれないが、あくまでも名もなき人々が迷いながら作り上げるものである。スター・ウォーズは、少なくとも正史は、物語を進め、アップデートすることを厭わないという気概を示してくれた。
 次回のエピソード9でジェダイの騎士という存在が蘇らないことを願っている。

 でもやっぱり2時間半近くって上映時間は長い上に、詰め込みすぎだと思う……。
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