Tellurは、……現在色々物色中です。

「ずっとお城で暮らしてる」(シャーリィ・ジャクスン著、市田泉訳、創元推理文庫、2007年)

2017年10月5日  2017年10月5日 
 田舎という閉じられた世界に対する恐怖と言うべきか。ネットの発達した現在の方がリアリティを感じると思われる。

 僕の親の本家は田舎にあり、親は都会に出てきた人間である。親の話を聞く限り、その昔、表沙汰にはならなかったものの本家の人は金(田畑とか漁業権とか山の権利みたいな意味ね)を騙し取られたとかあったらしい。それも近所など近しい人から。今は何とかその損失も消えたが、それでも僕の親世代の本家の人々は貧乏暮らしだったらしい。なので今でもお金はあまりなく、年金を元にした貯金と家(と二束三文の山)だけが相続できる財産で、本家の長男は姉妹と骨肉の争いをしているらしい。田舎では家なんて誰も貸してくれないので、家を継げないと生きていけないためだ。
 そういう話をちょくちょく聞かされていたため、言葉は悪いが「膿家」みたいな単語(念のため書くが、差別用語に当たる)を聞いた時、納得してしまう面もあった。なお、以下の田舎への悪口は、漠然とした「田舎」であり、さらに田舎の現状を知らない人間が伝聞で思い描いた二重三重のバイアスがかかったものであることは注記しておく。

 この本を読んだ時、僕は聞かされていた田舎が思い浮かび、僕の田舎に対する嫌悪感のイギリス版という印象を受けた。金持ちの一族を妬み、不幸があると喜び、村ぐるみで囃し立てる。ゴシップ好きで、出る杭を打ち、仲間の数が多いほど気が大きくなる。そういう共同体への嫌悪感が、この本でわずかな固有名詞と共に描かれる村(田舎)なのだろう。僕にとってこの本で気持ち悪かったのは有象無象の村人たちで、1人の女の子が自分たちのホームグラウンドにやって来た時は散々いじめるくせに、ヒステリーが高じて火事で暴徒になったり、その挙句自分たちが見殺しにして焼死者が出たと知るや一転して恐怖に震える落差は定番の展開と知りながらも気分良くはなかった。僕は暴徒とか多数派による手のひら返しとかそういう展開が嫌いなので、余計に虫の軍団のような村人たちが不気味に思える面はあるかもしれない。
 しかしこの本の主題は共同体への嫌悪「ではない」。ねちっこく描かれる村はあくまで主人公の少女とその姉を追い詰める道具に過ぎず、本書で描こうとしたのは敵だらけの世界でひっそりと生きる時間が止まったような姉と妹の耽美的な生活だと理解した。

 主人公である妹とその姉は異常である。妹は非常に幼く、読んでいる最中は10歳前後だと思ってたし(実際は18らしい)、姉は浮世離れしている。姉には一家を毒殺したと陰口叩かれ、妹は毒殺者の身内なので嫌がらせされる。その死の真実は途中から薄々読者も勘づくようになるが、でも動機については最後に至っても明言されない。妹は虚実入り混じった自分の妄想とおまじないの中で生き、人殺しと呼ばれる姉は自分の屋敷から出ず妹を甘やかすのみ。彼女たちと共に事件の生き残りである叔父が暮らしているが、その叔父も毒の影響で精神を病み、姉から世話を受けている。彼ら彼女らにとっては普通の幸せな生活なのだろうが、それも長くは続かないことは読んでいてわかってしまう。
 本書のターニングポイントは明らかに怪しい叔父の来訪。妄想入った妹を通じての描写なので本当に悪人なのかわからないが、でも客観的に考えても怪しい叔父。事件の生き残りの叔父も妄想混じりで警戒する中、姉はこの新参者を受け入れてしまう。その結果、この姉妹の生活は破綻する。彼は火事以降村人にあっさり溶け込んだように、俗世=村人の象徴である。金目当てを隠そうともせず、妹の妄想について行けないほどのまともな感性を持っている。読書中は妹に感情移入していたので憎たらしい印象を受けたが、改めて読むと単なる小者でしかない。妹にとって空気を読めない新しい叔父は姉を奪う存在であり、敵対視されるのも当然であったのだろう。

 一番いやらしく感じたのは作者である。最終的に火事が起こり、姉妹が村に戻る選択肢もあったのだろうが、村人の意地悪さや妹の被害妄想(?)から2人の世界を存続させてしまう。普通に考えて家が燃え、お金もなくなり、家具や服や食料がなくなったら生活力のない姉妹は生きることができない。そもそも姉は困難があろうと村に出ていこうとしていたのだ。それを姉妹で生きるシチュエーションを成り立たせるため、むしろ姉妹の絆を深めるために、火事で姉の希望の全てを破壊し、保存食は残っていた(!)ということにし、さらに村人たちが貢ぎ物を供えることで俗世に戻らせない展開。閉じた世界から逃さないという意思は悪意とすら思え、歪な美しさを壊す気はないのだなあと思った。
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